「祝賀会」終わりました〜。
【記念祝賀会】渋谷区立外苑中学校創立60周年 (原宿中学校45周年・原宿外苑中学校10周年)
〜プログラム(BGM:アンジェリーク・ムジーク)〜
■司会:山川建夫(10期)
■同窓会会長挨拶:齋藤一夫(1期)
■祝辞:桑原敏武様(渋谷区長)/池山世津子様(渋谷区教育長)
■祝辞:和田敏克様(渋谷区立原宿外苑中学校長)/福住照男様(渋谷区立原宿中学校卒業生代表)
■乾杯:同窓会副会長:齋藤繁(10期)
■トランペットと歌のコンサート:トランペット独奏:多田暁(27期)/歌:Yae(藤本八恵(42期))
■スライドショー「外苑中60周年記念アルバム」
声の出演:多根健(3期)・山川建夫(10期)・福與好一(14期)・林聡美(24期)
パソコン操作:井上元雄(15期)
■校歌合唱:ピアノ伴奏:川野莞子(4期)
■閉会の辞:同窓会副会長:石澤忠邦(9期)
■カメラ担当:堺谷一人(19期)
渋谷区立外苑中学校創立60年紹介についてはこちらをご覧下さい。
〜プログラム(BGM:アンジェリーク・ムジーク)〜
■司会:山川建夫(10期)
■同窓会会長挨拶:齋藤一夫(1期)
■祝辞:桑原敏武様(渋谷区長)/池山世津子様(渋谷区教育長)
■祝辞:和田敏克様(渋谷区立原宿外苑中学校長)/福住照男様(渋谷区立原宿中学校卒業生代表)
■乾杯:同窓会副会長:齋藤繁(10期)
■トランペットと歌のコンサート:トランペット独奏:多田暁(27期)/歌:Yae(藤本八恵(42期))
■スライドショー「外苑中60周年記念アルバム」
声の出演:多根健(3期)・山川建夫(10期)・福與好一(14期)・林聡美(24期)
パソコン操作:井上元雄(15期)
■校歌合唱:ピアノ伴奏:川野莞子(4期)
■閉会の辞:同窓会副会長:石澤忠邦(9期)
■カメラ担当:堺谷一人(19期)
渋谷区立外苑中学校創立60年紹介についてはこちらをご覧下さい。

外苑中学校は昭和22年、教育基本法が改正され、義務教育、6・3制の施行に伴い、新制中学校として開校した。戦後の混乱期、校舎もない時代、港区北青山の神宮球場のそばにあった旧陸軍近衛歩兵第4連隊の兵舎を学校として使った。当時、港区の青南小学校と青山小学校の卒業生も我々渋谷区在住の子供達と一緒に勉強した区内唯一の都立中学校だった。入学時は、1学年6学級、350人位の生徒がいた。<参考:昭和29年は3学年で1358人の生徒がいた(渋谷区教育史による)>。
1年後、青南、青山小出身の生徒達は港区の青山中学校に帰って行った。一緒に野球部を作り、練習に励んだ数人の仲間達もいなくなった。今、自分の手を眺めながら、皮のグローブなどは無く、軍手で血豆を作りながら一生懸命ボールを追っかけた昔が懐かしい。1期生の我々は、当時の仲間と逢ってみたいナァーと今でも思っている。過去を振り返るようになった「とし」のせいか。
話しはもどるが、兵舎は2棟あったが、その内の1棟は外地からの引揚者の都営住宅、我々の教室はもう1棟の3分の1、残りの3分の2は、東京第一工業高等学校とレディス洋裁学院が入っていた(3年生の時に都立青山高等学校が入ってきた)。当然、教室の数が足りるはずもなく、屋根の吹き飛んだ屋上でミカン箱を机代わりにして、いわゆる、青空教室として交替交替で勉強した。開校して間もなく、ある時ふっと気がついた。先生の顔も、生徒の顔もどうした訳か、真っ黒顔になっているのだ。兵舎時代、ダルマストーブで暖をとっていた、その煤(スス)が壁にこびりついていたのだ。教室は兵舎そのまま、板壁の隙間から南京虫やノミが出でくるものだから、紙テープで目張りをしたりした。とてもゆっくり勉強する雰囲気ではなかった。床板が抜けていたり、校庭といっても、ちょっと前迄は兵隊さんが訓練していた場所、先ず砂利をとる事から始まった。
初代校長、下田克三先生は極めて温厚篤実な人で、誰よりも早く登校、庭の砂利を拾い、掃除をしていることに生徒達が気づいた。誰となく早く登校して砂利拾いを手伝った。その先頭を切ったのが野球部員だった。練習をしていてノックのボールがイレギュラーバウンドして体のアチコチに当たり怪我人続出、当然の行動だったと、今にして思う。先生の数も生徒数に比して少なく、頭の良い生徒が代用教員のようなことをやった時期もあった。 先生も生徒も一体となって戦後の風霜の時代を生き抜こうと必死だったのだ。昭和24年10月、旧池田侯爵邸跡地が新しい校地と決定した。それが現在の原宿外苑中の場所である。3年生の後半の体育の時間は新校地の地ならし、モッコに土を入れ海軍館の方に棄てに行った。誰一人、文句をいう者もなく、黙々と動いた。行き帰りはランニング、こんな事から、体は今の生徒に比して平均して小さかったが、頑健な体力が自然と養われていったのかも知れない。
卒業を迎えた時は未だに校舎は完成せず、旧海軍館(後の社会事業大学)の講堂を借りて卒業式をやった。入学の時は国防色の服をきていた生徒が卒業式には黒の学生服を着ていた。その年の(昭和25年)6月、新校舎落成、3年生になった1期後輩の生徒達が新校舎に移った。つまり2期生、3期生は兵舎の後の校舎と新校舎の両方と、全く環境の違う教室での勉強を体験した外苑中60年の歴史の中で唯一の生徒になった。
その後、学区域も広く生徒数も増えてきた為、昭和35年、現在の「原宿の丘」に分校ができ、昭和37年に原宿中学校として独立した。その後、年を経て少子化の影響を受け原宿中の生徒が激減し、古巣とも云える外苑中と統合された。と書けば話は簡単だが、時の外苑中の一部の保護者が半年前位から猛反対、統合反対の請願運動を展開、教育委員会や議会の文教委員の自宅に迄押しかけ抗議した。委員会室に、時には50人近く傍聴にきてプレッシャーをかけた。誠に凄まじい抗議運動であった。
原宿中が外苑中に併合されるのではなく、同等の立場で統合されるのであるから原宿の学校名を残すべき、との関係者の考えで現在の原宿外苑中として校名を変更した。時に平成9年、外苑中として一大エポックと云える年であった。敢えていうなれば、外苑中、原宿中の土台があり、その歴史の上に原宿外苑中が現在ある事実は誰にも曲げられないことであり、教育委員会も学校経営者も、このことをハッキリ明言しており、60周年の実行委員会長、役員もこれを確認しております。<参考:原宿外苑中の学校要覧の沿革史にも記載されております>。
時、あたかも東京芸術大学も創立120周年を迎え、日本橋三越と東京芸大で120周年展が開かれております。明治22年、東京美術学校が創設されて、後の昭和24年に東京音楽学校と合併して東京芸術大学となった経緯があるが、最初に美術学校が創設されてからの120年ということをハッキリ認識し、祝賀展が開かれている。
これらを改めて考えていくと、10年、20年、いや100年経っても外苑中の卒業生は、自信を持ってその時々の周年行事を行うことは何のためらいもなく行えるのであります。誰にでも心の古里がある。その一つが我が外苑中学校であります。外苑中学校よ永遠なれ。
文責:平成19年10月15日 記 渋谷区立外苑中学校同窓会会長・渋谷区立外苑中学校創立60周年記念祝賀会実行委員会会長 斎藤一夫(第1期卒) 参考文献:渋谷区教育史/渋谷区子ども教育史3
渋谷区立外苑中学校創立60周年記念祝賀会実行委員会
副会長:(第5期卒:矢崎 公)(第9期卒:石澤忠邦)(第10期卒:斎藤 繁)
相談役:(第1期卒:菊地良文)(第2期卒:松野 茂)
会計監査:(第5期卒:清水達也)(第13期卒:加藤喜三郎)
運営委員:(第8期卒:篠原東一)(第9期卒:竹内宏一)(第10期卒:大場(波多野)淑子)(第15期卒:井上元雄)(第15期卒:大友良一)(第17期卒:森 繁和)(第19期卒:堺谷一人)(第20期卒:松崎憲隆)(第24期卒:林(田中)聡美)



